moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

須賀敦子全集1~2     

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41XRR183DEL.jpghttps://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41VB06X65XL._SX298_BO1,204,203,200_.jpg

須賀敦子に出会ったのは7年前の冬のことだった。ホテルの一室で、大画面のテレビに映し出されたイタリアの風景。その時まで、「アッシジのフランチェスコ」も「聖人キアーラ」も「夕暮れには薔薇色に染まるイタリアの煉瓦の路」も「霧の中にそびえるドゥオモ」も「天井から円形の光が差し込むパンテオン」も、まったく知らなかった。勿論、その国で生きた作家須賀敦子のことも。

抑揚をおさえた原田知世のナレーションが、川のように流れていき、画面が変わる・・・息をするのも忘れるほど、この番組の衝撃がしんしんと身に染みた私だった。

時に「孤独を強いられているような」人生のある時期に、どれほど須賀敦子の本に、寄り添われ慰められてきたことかしれない。

全編、エッセイ形式なのでどこから読んでも良い。須賀の出会った「コルシア・デ・セルヴィ書店」の仲間や、イタリアに行くまでの心の葛藤などが丁寧に描かれている。わたしから見た、忘れられない人物は「カテイア」や「ガッテイ」だろう。須賀が、フランスの寄宿舎に居た頃のドイツ人のルームメイト「カティア」は、毎朝、部屋で食事を採る。黒パンを5ミリ厚さに切り、たっぷりのクリームチーズとトマトで食べるのだが、その食事を「あなたもどう?」と薦められて、須賀とカティアは親しく話すようになる。「イタリア語を習えば、新しい道が開けるような気がする」という須賀が「ドイツ語じゃあ駄目なの?」と言われ黙り込むくだりがある。軍国主義をくぐりぬけてきた日本と、その傷跡が生々しいあなたの国~ドイツにはまだとても行けない、と心で思う。

カティアは、イタリア中部の町、ペルージャに国立の大学があって世界中の学生が集まってイタリア語を学べるのだと教える。それから、週に3回、朝食の後1時間。須賀は、カティアから初歩的なイタリア語を学ぶことになる。報酬は、朝食のチーズやヨーグルトを買ってくることだった・・・「カテアの歩いた道」は2巻に収められている。

ガッティは、1巻に出てくる「コルシア書店」の翻訳仲間だ。ガッテイの人生が透き通った湖水をのぞいた時のように深く、遠く、しかし、ためらいがちな優しさでもって迫ってくる。自分のことよりも当然のことのように人を思いやる。このことを徹頭徹尾貫いたガツテイの人生を思うとき、静かな感動がある。ガッテイに会う為だけでも、この本を読む価値があると思う。

いっとき、「ジョルジュ・ムスタキ」にハマっていた須賀に「ムスタキは、歌詞はいいけど音楽は駄目だ」と言って「レナード・コーエン」を薦めてくれたと言うガッテイ。夫のペッピーノを失くした時、「睡眠薬なんかに頼らずに哀しみを全身で引き受けたほうがいい」と諭したガッテイ。

カトリック左翼の仲間たちの中で自由自在に観て聞いて、生きた須賀敦子の作品は、どっしりと厚く重く、硬筆な感じは否めない。しかし、彼女の友人、知人達が、霧の向こうで手を振っている。そして、星のように、一人ひとり自己紹介してくれる。こんな風なシンプルでストレートな人たちがかつて居たのだ、と気づかせてくれる。教会の圧力によって彼らの運動は鎮められて行くが、書店と、その活動(慈善運動など)は、いまだ残っていると聞いた。

今朝、久しぶりに「カテイアの朝食」を食べてみた。食パンとチーズとトマト。お腹持ちが良いのに、重過ぎない。須賀のイタリア行きをさりげなく手助けしたカテイアを思い、その後、ある学校の校長先生となったカテイアと須賀が、再会するシーンを思い浮かべる。そうだ、レナード・コーエンも聞いてみよう。

須賀敦子が亡くなっておよそ20年が経つ。彼女が日本の文学界に現れてエッセイ賞や女流文学賞などを取ってくれて、私は、心の中で鳴り止まない拍手を送ったひとりである。

ホテルから出ると、アーケード街の天井から、美しい粉雪みたいなギタアの音色が落ちてきた。確かにそれは、雪のように、天から降る音楽だった・・・・あの時の祝福は真実だったのだろうか、と、ふと辺りを見回してみる。2017年、6月のある日に。

 

 

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