豆腐屋の四季 松下竜一著
ノンフィクション作家になる以前の松下竜一。一番最初の頃のことが記してある。
泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん
松下竜一のこの時期の怒りに満ちた歌が好きだと思う。荒れ狂っていたのだ。怒り疲れると涙ぐんでまだ開けぬ星空を仰ぎ、神を呪った、という松下青年の、それでもその「ひたすらな、一途な怒り」を「呪いの祈り」を、はたと立ち止まって思い、考えたい。体が弱く、貧しさゆえに学校もあきらめざるを得ず、日夜、豆腐作りと格闘していた松下青年に、歌を教えたのはお得意先のお店のご婦人だった。この時期に、怒りながら神を呪いながらも、指を折って歌を書き付けた。くやしさと憎しみから、むらむらと私の歌は出発したのだ、と書いている通りに。
松下竜一のことを、私は新聞記事で知った。幼い頃の病気が元で片方の目にホシがあるのだ言う。
「どうして僕の目にはホシがあるの?」と聞くと「それは、神様が竜ちゃんが優しい人になれるようにってホシをくれたのよ」と答える母親に「ホシなんか僕は要らない!」と竜一少年は答える。
母親の死の以降、怒りながら生きる松下青年はある日、ふと思いつく。
「僕は生きていける。僕を愛してくれる愛さえあれば。」
松下青年はこのご婦人の娘さんと結婚する。お金がなく、身体も弱いため、自転車でキーコキーコと豆腐を売り歩く。娯楽と言えば、近くの川べりへの散歩である。ビンボーながらもつつましく可愛らしい夫婦の生活が始まる。
テレビドラマになった時、緒方拳がこう聞いている。「松下さん、あのご婦人のことを好きでしょ?」松下竜一はドキリとした顔をしたと言う。何が自分を幸福に導くのか、をしっかりと意識できた時に人はどん底から這い上がる術を無意識のうちに、知るのかもしれない。
とはいえ、この本は、松下竜一の生活の中から生まれた歌とその説明書きのような本である。「しあわせの見本」のような本である。