moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

わかりあえないことから        平田オリザ著

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 劇作家である平田オリザが、国語教育に携わることになり、教師、生徒、家庭、企業、ひらたく言うとこの日本に広がるダブルバインド~この中途半端さ、この宙吊りにされた気持ち、ダブルバインドから来る「自分が自分でない感覚」と向き合わなければならない、と、後半で締めくくる。

ダブルバインドとはふたつの矛盾する否定的な意思の流れ、とでも言うのだろうか。本のなかでは「コマンド」と表現されている。一部の隙もなく真面目な本である。この原因は本来の日本語の性質にある。現代の日本語が作られていく過程で、文豪達の、血のにじむような努力があったというのは、日本語には対等な関係で誉める語呂が極端に少なく、「対話」というものが人と人との間に、そもそも出来にくいという性質があるらしい。上に向かって尊敬の念を示すか下に向かって誉めてつかわす、みたいな言葉は豊富にあっても、対等な関係の誉め言葉があまり見つからないのだそうだ。

「いい子を演じるのに疲れた」という子どもたちに、「もう演じなくていいんだよ、本当の自分を見つけなさい」と囁くのは、大人の欺瞞に過ぎない。いい子を演じることに疲れない子どもを作ることが、教育の目的ではなかったか。あるいは、できることなら、いい子を演じるのを楽しむほどのしたたかな子どもを作りたい。

 

演劇は、人類が生み出した世界で一番面白い遊びだ。きっと、この遊びの中から、新しい日本人が生まれてくる。

と、結んでいるところを読むと、批判的なことばかりでもなさそうでホッと胸をなでおろしてしまう。平田オリザの新聞の連載を読んだ時、「人と人とはわかりあえない。その絶望からしか本当のコミュニケーション能力は生まれない。」というセンテンスがあったはずだが、この本は、東北大震災のあとで書かれており、そのせいか「絶望」という表現はカットされている。

それでも、とても重要なことが書いてあり、著書自身はかなりの危機感を抱いて書き綴っているのではないか、と思った。書かれて出版された時点で良しと思う。わたしもまた、この「ダブルバインド」の中で苦しみ、「対話」を求めて飢えていたことを思い出した。