moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

飛ぶ教室   エーリヒ・ケストナー    映画

youtu.be個性豊かで元気いっぱいの男の子たちのお話。理科系が得意のセバスチャン、スポーツマンで食べることの好きなマッツ、女の子みたいな風貌のウーリー、優等生のマルティン、そこにヨナタンが加わります。原作も読んだのですが、映画の中のいきいきとした子ども達を見るのが好きです。

祝紅白出演     竹原ピストル

youtu.be竹原ピストル、紅白出演するというニュースが飛び込んできました。エレカシも初出演を果たすそうです。もう、そういう季節ですか。1年早かったというしかないです。

近場で小旅

f:id:moonfishwater28:20171109132024j:plainおもしろいレストランを見つけました。デミグラソースのオムライス~おいしかったです。店内は面白い展示物?が満載。どこを見てもなんかが置いてあります。スズメバチの巣、とか坂本竜馬人形とか、本かつおの削り節とか・・・外には、発砲スチロールで出来た等身大のサメが居ました。メニューが高知新聞に貼られていたり、お冷がブルーの綺麗なボトルで出てきたり。ちょっとホラーな置物もありましたが。目で見て退屈しない店内でした。

オムライスのほかに「おすまし」の味が生姜味でダシが利いていておいしい。なすの煮物のお皿をカラにすると「大当たり」か「ざんねん」の文字が現れます。

 

 

 

ハンナ・アーレント全体主義の起原    NHKテキスト100分で名著

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思うだけで「気が滅入ってしまう」ような集まりに出席しなければならないとき、ハンナ・アーレントの言葉を思い出す。複数性という言葉を。悪とはどういうものか?と考えざるを得ない、しかし、はっきりと言葉でもイメージでも表現できない。そんなときに書店で見かけた一冊。

複数性とは・・・人々の間には「間」が必要でそれは個々の人を結びつける絆であると同時に距離を設定するものでもある。この「間」において人々の価値観や考え方は相互に作用し、多様性を生み出すことができる。

 

自分の考えていることや信じ込んでいることが間違っていた場合、それを自分一人で考えて正すことはかなり困難です。複数の人と共に考えたとしても、同じ意見や考え方の人ばかりが集まっている場では、結局、同じものしか見ていないものです。物事を他者の視点で見るという場合の「他者」は、異なる意見や考え方をもっていることが前提となります。
「分かりやすさ」に慣れてしまうと思考が鈍化し、複雑な現実を複雑なまま捉えることができなくなります。
アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならない~ということであり、わたしたちにできるのはこの「分かりにくい」メッセージを反すうしつづけることだと思います。

 本そのものは「かなり難しい」と著書が触れており、分厚い政治哲学の本を買わなくてすんだ。要点だけをこの本で読めるのはありがたい限り。

・・・かくてわたしは「複数性に耐える」体質を学び、身につけるべく出かけて行った。

わたしを権威の上から見ていると思われる人の本当の姿は、まったく違った。重荷を背負いながらそれでも誠実に生きようとしている「弱さ」を見て、愕然とした。驚いた。

見破ってしまった。さあ、これからどうしよう。しばらくはまた、ああでもないこうでもない、と考えるしかない。わかっていることは、いつか結論が出る、ということだけだけれど。

youtu.be映画も合わせて観たい。けれど、今は覚え書きです。

 

子どものためのコルチャック先生    井上文勝著

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第二次大戦下、ナチズムが猛威をふるっていた時代、孤児たちのための施設を作り、子どもの権利条約を制定。子どもの存在をしっかり受け止め、けして逃げなかったポーランド人~ヤヌシュ・コルチャック

子どもの悲しみを尊重しなさい。たとえそれが失ったおはじきひとつであっても。また、死んだ小鳥のことであっても。

子どもをひとりの人間として尊重しなさい。子どもは「所有物」ではない。

子どもにはじぶんの教育をえらぶ権利がある。よく話を聞こう。

子どもは愛される権利を持っている。自分の子だけでなく、他人の子どもも愛しなさい。「愛」は必ずや返ってくる。

子どもがじぶんたちの裁判所を持ち、お互いに裁き裁かれるべきである。大人もここで裁かれましょう。

子どもは宝くじではない。ひとりひとりが彼自身である。

子どもがあやまちをおかす。それは、子どもがおとなよりおろかだからではなく、人間だからだ。完全な子どもなどいない。

子どもにも秘密をもつ権利がある。たいせつなじぶんだけの世界を。

子どもの持ち物やお金をたいせつに。大人にとってつまらぬものでも、持ち主にとってはたいせつな宝。

子どもは幸せになる権利を持っている。子どもの幸せなしに大人の幸せは在り得ない。

子どもは不正に抗議する権利を持っている。圧制で苦しみ、戦争で苦しむのは子どもたちだから。

子どもの権利条約とはこのように、わかりやすく「子どもに寄り添う」とはどういうことかを説いた条文であった。第二次大戦下をはるかに過ぎた今現在でも充分通じる内容である。コルチャックを、理想化し、難しく論じる気はない。誰もが、知っておかなければならないこと、そうなりたいと思えば誰でも本当の子どもにとっての「盟友」なれるのだということ、伝えたいのはただそれだけのこと。

 

明日にかける橋     ロバータ・フラック

youtu.beロバータ・フラックのバラードは昔から好きでしたが、サイモン&ガーファンクルのカバーのこの曲はふわりふわり空中を浮遊しているような感じです。でも、それが目的の定まらない浮遊ではなくてちゃんと「祈っている」浮遊感。ふわふわ祈っている感じが心地良いです。

ベル・ジャー   シルビア・プラス著

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正気と狂気のはざまで、主人公のエスターは、どうやって生きてゆこうとしているのか。「ベル・ジャー」とは、クッキーなんかを入れる蓋のついたガラス瓶のこと。エスターはいつも、この「ベル・ジャー」の中で生きている気がしている。自分の吐く息で、自分自身、息が詰まっていくような・・・19歳の心情。シルビア・プラスの自伝的小説、と言う風に読んでみれば、8歳の頃から詩や文章を書く才能があり、数々の賞を採っている~というドキュメンタリーの部分は書かれていないことになるが、ここに母親が期待の多くを娘に賭けてしまった、という見方は出来ないだろうか。

成績でAを採り続け、趣味らしい趣味はなく、ただひたすら「母親の期待」に応える人生を歩んできたエスターには、「自分自身」というものが形成されていなかったのだろう。

たとえば、「日常を生きる」ということを、知らない。そのことが地獄であり不幸なのだ。

夏期講座で、ある作家の指導を受けられるということで、申し込んだ彼女の作品が選考に落ちてしまう。エスターには絶対的な自信があったのにも関らず。

そして、がたがたと坂道をころがりおちてゆくのである・・・・

狂気の中に埋没してしまったかのように思われたとき、彼女は「自分らしく生きてゆく」方法の一端を手に入れる。しかし、ラストシーン近くのエスターは、やはり痛ましく感じる。

彼女は完全な自由を手にした。付きまとわれていた同性愛者のジョーンは自殺してしまい、気に入らないボーイフレンドのバデイはあきらめ顔で突き放してくる。病院からは、当分母親と暮らさないようにと通達されている・・・・そして、男性不信を乗り越える為に避妊具まで装着し、行動する。

しかし、エスターは、あまりにも傷つきすぎている。

 

1963年、二人の幼い子どもを残して自殺したシルビア・プラス。この小説は自殺直前に出版されている。ゲラがあがったとき、彼女は大笑いしてこの原稿を破り捨てたと言われる。

 

シルビア・プラスもエスターもただの一度も「自分の感情」というものを味わったことがなかったのだろうか。プラスの詩も興味深い。いつか読んでみたい。