おとうと 幸田文著
露伴が可愛がって育てた長男が、実母との死に別れののちに入った「まま母」とうまく行かなくなってゆく。きっかけは高校進学してからの級友とのトラブルだった。きちんと経緯を聞かず、そのまま警察送りになってしまう。このあたりは、姉のげんは(作中の名前)のちにかなり不信に思っている。なぜ、親がもっと庇ってあげられなかったのか、どう考えても、碧朗は悪くないのに。げんは、幼い頃よりは、ずっと「まま母」よりの気持ちになっており、「気の毒な人だ」と感じながらも従っている。その頃には家事炊事をほとんどげんがこなしている。「まま母」は中風で、手足がうまく利かないのだが、自分のことだけは自分でしている、と言う。
着物のことなど、当時は時季に合わせて仕立てなくては成らない。それは、「母親」の仕事なのに碧朗は、そんなこともしてもらえないらしい。キリスト教の学校なので、「退学せよ」とは言わない。そのかわり自ら退学せざるをえない方向にもっていかれてしまう。そのトラブルを起こした当人の親は学校にかなりの寄付をしている家なのだ言う。
碧朗が、新しく入った高校にも行かず、乗馬だのボートだのにのめり込んでいくがそれも、ちゃんとした「のめり込み方」さえ知らない風だ・・・悪い仲間との関りを絶つことが出来ない。あまりちゃんとした「友人との関り」を知らないで育ったせいなのか。私には到底、わからない。
碧朗は、結核に罹り、療養をするも、良くなりかけた時に、また無茶をして悪くしてしまう~げんが出来うる限りの看護をしたのは言うまでもない。最期・・・「明日、夜〇〇時に、パーテイをしよう。看護婦さんもみんな呼んで。」げんは、わたし眠っていて起きられないかもしれないと言うと紐をつけておいて、僕が引っ張るから、という会話をする。
げんは、紐がひっぱられたような気がして起きる。
「間に合わない」と弟は言う。父親も「まま母」も飛んできて、最期の見取りをする。くるりと周囲を見回す瞳。そして、静かに事切れる。誰もがこんな看取りが出来るわけではないのだと言う・・・
思い切り悪態をつき、悪い気持ちを全部外に出し切ってしまうのが良いのだと言う。
考えさせられた。ここをすべて書けることがすごい。