大沼はまの日本語教室 大沼はま著
大沼はまさんに一度も会ったことはない。それなのに、やさしくそおっと諭されているような気持ちになる。人をけして「裁いてこない」人。むかしむかしに私にもこんなお母さんが居たはずだったというような匂いがする大切な本。大村さんの一族に流れる「大切なこと」、それをこの本からちょっとだけ貰ってくる・・・そうして私の血に肉に馴染んだなら、一番身近な小さな命に、こっそり伝えよう、そんな小さな決意を促す。
言葉だけというのは表面のことなのです。はまさんの伝えたいことはもっと別なところにあります。それを汲まなければ~と思うあまり、「積読」だった本を最近、ようやく読み終えました。もっと、繰り返し読みましょう。そして作文が上手になりたい。それから、心のこもった言葉を言える人間、言葉を言わないで沈黙を守れる人間にも、なってゆきたい。
・・・それはどんな「私」なのでしょう・・・・本屋さんに行って背表紙だけながめて帰ってくるお母さんが居てもいい、読みたい本があるだけでいい、と言う。そんな願いさえないお母さんの顔つきはやはりどこかが違っている、高み、深みを目指す気持ちのない顔つきになると言う。そうかもしれない。今まで、私ずっとそうでしたよ。背表紙だけ見てる、それだけで落ち着く。読みたい本、というものが探せなかったんです、そんな風に天国のはまさんにお話したくなります。
プロテスタント教会で随分むかし、ご一緒しました。もう文語訳聖書を読み上げる教会はなくなってしまいました。あれは、はまさんのこだわりだったのですね。
はまさんのご本、今日は抱きしめて眠ります。