みそっかす 幸田文著
なんだかこの本は辛い本だった。前作まで、ただ単に、文さんは若草物語のジョーのような存在だと思い込んでいたのだ。しかしそれは、まったく違った。幼くして生母を失くした文さんのもとに、二番目のははがやってくる。そうしてそれから、辛い日々が始まる・・・父親である露伴と継母には諍いが耐えない。これは、根本的な「宗教的思想」が違うためで、継母は露伴をなにかと「悪魔呼ばわりする」のである。それに、この継母は家事や洋裁が苦手なのである。
何度も本を閉じて考えた。そして思った・・・これは、わたしの「戒め」の書なのだと。継母は継母でキリスト者であるから「愛の神」を信じているはずで、現に、頻繫に教会に通い、信者友達を招いてお茶をしたりしている。
そして、なんとか露伴を改心させようと祈り、聖書を読み、教会へ通う。家事や母親の努めも放り出して。
しかし、夫婦のこの絶対的な「隔たり」からの暗闘が、暗い雲のように、子ども達に降りかかってゆくのである・・・それでも、文さんのなんと従順なことか。このときの辛さを、彼女はついに「言葉が見当たらない」と表現する・・・
もしかしたら、文さんは、お父さんを看取るまでは「頑なな恨みつらみ」に閉じ込められていたのではあるまいか。このあと、若くして病死した弟を看取り、さらには露伴その父を看取った時、文さんはその時、「許し」という一筋の光を見たのではあるまいか。そして「描く」という手段の中に自身を解き放して行ったのではないか。
自分をさらけ出す勇気とは、「与えられるものなの」なのじゃないかとしみじみ思ったことだった。