moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

ミニトマト の収穫       エッセイ

ひと月ぶりの再会だった。どんぐりみたいな「頭かたち」とますます日焼けした細い腕、ひざ小僧。にんまりと笑いながら茶の間の私のところにやってきた。少し世間話をしたあとで、「庭にミニトマトが実ってるから取りに行こう」と誘った。するとVは「うーん、あの庭かあ・・」と、いかにも考えるという仕草をした。

 雑草を取っていないばかりでなく、掃除・整理も最低限しか施されていない。春の椿は、咲いたはいいもののポタンと土に落ちたきり茶色の塊になっているし、ミントは伸び放題で、隣りのオレガノビューティを枯らしてしまい、その場所に植えたフレンチラベンダーも、最初の夏こそ盛況だったが次の年にはもう花は咲かず、今年も春のいっときしか咲かなかった。六月になるともう、色の無いうさぎの耳のようなのばかりがずらりと並び風に揺れている。掘り出したチューリップの球根軍団もそのままごっそりほっぽり出されている。買ってきて置きっ放しの煉瓦はそのあちこちに、タテになったり、横に置かれたり、てんでばらばらになっていて人の意図が感じられない。その上、一面にぼうぼう草が生え出でて荒れようを呈している。造ろうとしてはあきらめ、あきらめては造ろうとしているかのような、まことに中途半端な雑然さが漂っている。

 春先に出て行って「虫がきた!」と言って泣き出したV。タオルで追い払ったのは私。それは小さな蚊みたいな虫で、確かに首や耳に貼り付いて「わるさ」をしており、跡が小さく赤く、腫れていた。大人なら、あとになって刺されたことに気づく程度であったかもしれない。7歳の男の子はそんなことにも敏感なのだろう。

 そのことを思い出していたのは私もVも同じだったのかもしれない。様子を見ていると彼はいかにも決心したように「よし、行こう」と言った。袖の長いものを着て、長ズボンを履いて、などとおたおたと「ころばぬ先の杖」でせかすように準備をあおると、「いいよ!大丈夫。子どもだから!」と開き直ったようにしている。春先には、少し庭仕事をしており、一緒にそれこそ雑草取り、夏の花の種まきと水やりなどをやった。けれど、今は、ただ、トマトを収穫するだけであるから、長いことはかからない、トマトが実って居るのは、連れ合いが確認しているから、すぐにすむことだ、と、私も自分の心配しすぎを改めて心を静めた。

 Vの決心に従い、荒れた庭をのっしのっしと歩いてトマトの苗のところまで行く。果たして葉っぱも茎もよれよれになっている。支柱を立ててもいなかったからこうなったのは当たり前である。プランターふたつに三つの苗が植えられていて、「そうだ、支柱をたてて、茎をゆわえなければ」と細いナイロンの紐まで用意していたというのに、それはもう「イメージだけ」で終わってしまい、トマト育てをあきらめることに至った。そしてもう、この件はあとも見ずに忘れたかったのだ。

 しかし、トマトは放ったらかし程度が良いそうである。よれよれの葉っぱと茎にたくさんのミニトマトが成っている。中にはミデイトマトくらいの大きいのがまだ青いが、楽しみにしててよと言わんばかりに2~3個成っている。でも、プランターの手前に蜘蛛の巣があるじゃないの。Vはたじろいでいる。蜘蛛の巣を手で払いのけ、ほれほれと茎をすぐそばまで寄せてやっても「もぎ取ろう」という気配もなく立ちすくんでいる。仕様が無いので「婆ちゃんがもぐよ」と黄色い取っ手をもって庭用鋏を広げようとした。

 そのとき「あ!しょうりょうだ!」とはずむような声を上げた。見るとトマトのプランターに覆うようにかぶさった茎と葉のそばに、卵から孵ってまもないくらいの小さな赤ちゃんバッタが、ぽちっと止まっていた。Vは思わず指で、つ、と足をもった。バッタは片足を残して、ピョンとどこかに飛んで逃げ、どこに居るかわからなくなった。

 それから、Vの心のシーンが変わったようだ。ポキポキと、あっちもこっちもトマトをもいでくれてビニールに入れた。収穫を手に私とVは、また雑草の庭を歩いてもどった。

 洗ったトマトを中くらいの鉢に入れてテーブルに置いた。トマトは甘く、とても味わい深かった。Vは、2個くらいを食べ、おいしいと言った。座はほどけてきてわたしとVは、またなにかを話し出し、頷いたり、尋ねたり、笑ったり、得意がったり、さまざましながら夕方の時間を過ごした。

頭の中に「しょうりょうだ」と言ったVの声がいつまでも残り、あんな風な、男の子のはりのある声を随分むかしに聞いた・・・と思い出そうとしたが、それは、あまりにも昔で指折り数えなくてはならなかった。

いつのまにかVの帰った静かな茶の間で、わたしは、いつまでも、その遠くの男の子の声を、聞いていた。その声のぬしは弟だった。三つ違いの、もう二度と会うことのない「弟」。切り揃えた前髪の向こうに見える目とランニングシャツ。無類の昆虫好きだった。

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