moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

父・こんなこと     幸田文著

なんの予備知識も無くこの本を手に取ったのは、ただタイトルに惹かれたからで、綴りたいと思わざるを得ない「父親」その人との関係~それがほかの人の場合はどんなだったのだろうという興味が沸いたこともある。父(幸田露伴)の臨終を看取り、それまでの「父との対話」、「死が少しづつ降りてくる様子」「疲れ」、「揺れ動く自身の心の在り様」など、誠実に丁寧に描いている。

文さんは、始終「父の父たること」を願い相対しているが、それが損なわれるさまを、時々垣間見ては、「もう駄目だ」という思いがよぎる。吸い飲みを持つ手がガタガタ震え、持ち替えてもなお、いよいよ震えが止まらない。「悟られてはならない」と、嘘を言う文さんの心情。そして「父らしい物言い」を取り戻すとホッとしてもっと話していたいとも願う。死が徐々に舞い降りてきても、ひたすらにそのことを願う。

もともと「教えたがり」のお父さんは、文さんに徹底的に家事を教えたというエピソードが「こんなこと」のほうに収められている。

「水は恐ろしいものだから、根性のぬるいやつには水は使えない」とし、「水の扱えない者は料理も経師も絵も花も茶もいいことはなにもできないのだ」と豪語する父が、雑巾掛けを教える。そののち教科書のポー「渦巻き」の解釈を夢見心地で聞いた著者は、次の日に、隅田川にドボンと落ちて流されてしまう・・・・我慢することが美徳とされていた時代~文さんは、かなり感情的に振舞うことが多かったらしい。いわゆる「お転婆」だったとのちに書いている。

文学とはおよそかけ離れて、「生活すること」の中に生きてきた文さんは、父を看取ったそのあとで、始めてペンを取った人なのだ。文章の上手い下手ではなくて、「人柄」なのだと思う。幸田文「さん」と言ってしまうゆえんである。

さて、わたしの父も相当な「教えたがり」だった。そのことを中途半端には誰にも言えないのだと思い至り、じっと黙っているが、思いがけず「文さん」の文章に出会ってなぐさめられた。

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