moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

家霊      岡本かの子

幾つかの短編が収められている。この本に入っていない短編「川」が、実はすごく好きなのだが、ネットで検索すると「岡本かの子の川は、意味がわからない」という書き込みが多く、それはねえ・・・と説明しようとして、説明できない自分に気づく。「いえ、あのう・・わからないならそのままで・・・」と言い訳して消えたくなってしまう。

しかし、この「家霊」には、「川」は収まっていないので安心だ。言葉に窮することはない。

「家霊」の中では、「鮨」というお話が気に入っている。岡本かの子の短編は食に関するものが多いと聞くが、「鮨」もその中のひとつだろう。「福ずし」を経営する夫婦、その娘と常連客とのやり取りやその雰囲気が描かれるが、名前が出てくるのは客の「湊」と看板娘の「ともよ」だけである。湊は、初老の紳士だが、職業は不詳。「鮨」を食べている時の「湊」の独特の雰囲気に、不思議な違和感を覚える「ともよ」。

ある時、店の外で「湊」と出くわした「ともよ」は、そのことをつい口に出して尋ねてしまう。「先生は(湊は先生と呼ばれている)ほんとうに鮨がお好きなの?」それから「湊」の身の上話が始まるのである・・・

「鮨」を食べている時、「湊」はかなりぼんやりとしている様子で、遠くの景色を見つめている。現実のことが、目に入っていないような、乖離してしまっているような雰囲気なのだろう。

「いや、鮨はそれほど好きでもないんだが、年をとったせいか鮨を食べていると母親を思い出すのでねえ」というようなことを、「湊」は答えている。

話は変わるが、私は、ほぼ毎日、パンケーキを焼く。パンケーキミックスではなく、ホットケーキミックスをミルクやヨーグルトや卵を入れてぐるぐる掻きまわしただけのタネで、薄っぺらに焼くのだ。どうしてもバニラの匂いがないと嫌なのだが、さほど「美味しい」とは思わない。百均で買ったココナツパウダーをかけてみたり、かぼちゃのペーストを塗って食したりする。

安上がりなので、一度に数枚焼いて冷蔵庫に入れておいたりする・・・・私は、自分のこの行動がうまく説明できずにいたが、たぶん、「鮨」の「湊」とどこかが似て居るのだ。

食が細く滋養のあるものを食べられなかった幼い日の「湊」を生かしたのは、母親の手作りの「鮨」であった。家が潰れ、親兄弟も死に絶え、ただ独りだけ残った「湊」は、一生食べていくのにも困らない金も投機によって手にする・・・妻も病死している、この孤独な男は、ただ、「鮨」食べている時にのみ、思い出を現実に紛れ込ませて噛み砕き飲み込んで居るのだろうか。叔母はよくホットケーキやプリンなどのおやつを作ってくれたものだ。そしてそれは、母親が1度たりとも作ってくれなかった「おやつ」なのだった。

ホットケーキを食べている時、私もまた、自分を育ててくれた叔母のことを無意識のうちに心に刻み込んでいるのかもしれない。「湊」が母親の与えてくれた「命」を、まっとうに生きようとしているのと同じように、叔母が与えてくれた僅かな「愛情の糧」を、今日も私は、肉体に混ぜ込みたいのだろうか・・・などと分析してみる。

 

 

 

 

 

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