moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

百歳の美しい脳   デビッド・スノウドン

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デビッド・スノウドンが疫学研究者になったのは「ニワトリ」が原因だという。思春期に、「体操選手」になることをふいにあきらめた彼は、放課後の時間を「ニワトリの飼育」にあてがう。裏庭に小屋を作り、品評会に出して賞を貰ったり、卵を売ることで小遣い稼ぎをしたりし始め、自然、より良い「ニワトリ」を育てるために、病気を防ぐ方法などにも熱中する。

「本人が意図するしないにかかわらず、人生の最初の頃のさまざまな条件がのちに病気の原因になったり、反対に病気を防いだりする。」引用

ともあれ、デビッド・スノウドンは、「アルツハイマー病」の研究のために修道女たちに「死後、脳組織を献体してもらいたい」と申し出て、のちには、修道院の中に「研究室」を持つに至る。

APOE4遺伝子、染色体の名称など、多少専門的な難しい言葉と説明も出てくるものの全体として受ける印象は、「素直で、嫌味が無く、明るい修道女達」と著者との心温まる人間的なやり取りである。

 彼は、修道女達を研究対象としてではなく、あくまでも、ひとりの個人として受け入れ、見取り、最後まで暖かく見守り接したのである。

一昔前までの暗い修道院の印象は薄れ、食事にはサラダバーがあったり、夕食後、カードゲームやスクラブル、テレビのスポーツ観戦に熱中する修道女、ハリー・ポッターを読む修道女、筋肉トレーニングする姿もある。そういう暖かい雰囲気が伝わるのがこの本のなにより捨てがたい良いところである。

 

 

 

夜中の薔薇   向田邦子著

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印象に残ったところは大方、向田家に伝わる小さな簡単な、けれども昔懐かしいお惣菜の数々と、それらの背景である。鰹節は、「硬い石」みたいな塊で、毎朝、タオルに包んでご飯が炊けるときの蒸気で蒸らして削りやすくしたと言う。丹念に火であぶった海苔と醤油でまぶした鰹節を交互に重ねた海苔弁は、前の日が来客などで忙しかった朝などに作られていた。

向田邦子は、外国旅行から帰ると、この海苔弁を作って食べたそうである。塩味の卵焼きと生姜醤油で煮た豚肉とともに食すると言う。是非、真似してみたいものである。その際は、生姜をびっくりするくらいたくさん入れるのが良いらしい。

向田邦子の育った家庭、家族の有り様は、古き良き日本の家庭、家族のそれである。

幸福な人の「内緒話」を聞いているような、私にも少しはそれがあったかな、と「懐かしい何か」を、思い出そうとしている。

幸田文のような「苦労を踏みしめて立っているような」あの「奥深い余韻」は残念ながら無いのだが、テレビの良質なホームドラマを生んだ著者の「古き良き」は、エッセイのそこここに漂って現代に伝えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

90歳何がめでたい  佐藤愛子著

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佐藤愛子から遠ざかって40年ほど経つだろうか。高校時代、文芸クラブの顧問にこう聞かれた。「今、何読んでる?」わたしは即座にこう答えた。「佐藤愛子!」顧問曰く「アホ!純文学読め!純文学!」~「はー、そういうものか」と思い、純文学を読もうとするのに一向にはかどらず、月日は流れた。私の中には「佐藤愛子読むべからず」という単純なベクトルが刷り込まれた。

 最近、テレビのインタビュー番組などに登場される「佐藤愛子」は、素敵に歳を重ねていて、こんな90歳になりたい、と思わせる上品な風情。言葉のやり取りもとてもゆったりと一言ひとことを、感慨深く選んでいる様子が見て取れる。

それほど「短気」には見えないが、本書ではあちこちに、怒りが見て取れる。小出しにすると「怒り」もこれほど面白おかしくなるものだろうか。

好きなのは「ソバプン」のはなしと「思い出のドロボー」のはなし。

どれも佐藤愛子節健在!ということで、クスッと笑う感じは昔のまま。また、読者に手紙を書くように文章のあとにカタカナのゴメン、が時おり入るのもなんだか嬉しい。

草の花   幸田文著

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「なにもかもが、いけないことだらけでだめだった」で、はじまる幸田文女学校時代のエピソード満載の随筆。ここで、幸田文は第一志望のお茶の水女学校を受験し、失敗するのであるが、それが、そばに居たらさぞはらはらするだろう、ということだらけだ。

生母を早くに亡くし、継母とともに受験会場に行くも、最初から受験会場に漂う生徒たちの雰囲気に違和感を覚える。

そればかりでなく、受験前に当然すませておくべき生理事情を、うながされていながら拒み、試験中にその症状に悩まされてしまう。全身の毛穴が怖気だつもこらえる。

もともと算数も国語も難問だらけだったと書かれているものの、小さい子供でもあるまいし、これではもう運命に導かれる他はない。

継母のコネで別の女学校に入学。そしてここが「以外にも当たり」だったらしい。けれども、「もっと読みたいな」と思うところで断ち切られてしまう。「鉛筆が離れてしまった」と書かれて終わり、あとは散文が続く。

お茶の水女学校の「かっこ悪い」エピソードから始まるこの一連が輝いている。苦労の多い「継母との繋がり」にパッと光が射したような一瞬を切り取ってすがすがしい。

グリム・スパンキー   愚か者たち

 

これはショートヴァージョンですが、全部聞くと「ざわり」と背中が怖気だつ感じさえします。女版エレカシでしょうか。「ポリスター」なんかを思い出します。

黄金の檻   ①

カーテンはミルク色で光がうっすら通る。朝が来たばかりの頃なら水色がかっている。

 私は「ミルク色」のままが良い。そうすれば、部屋中が「雪明り」に照らされて明るい、という錯覚の中に居られる。

 アドベント三週目。雪の降らないクリスマスにも慣れてきた。けれど、「雪明り」への恋しさは募る。そればかりには嘘がつけない。

 この土地ではパンジーやビオラが出回る季節だ。花屋ではチューリップの球根を買い求め、早くも春を待つ心持ちになり、パンジーとビオラを見守るように愛でるだけで帰る。M子の最後の消息は「花や」だったと気づく。

 M子と、ひと冬を白い部屋で過ごした。

そこには「ほのかなぬくもり」もある一方、稲妻のように時折、ビリビリと妬みが走る。背中合わせで「同じ空を見ているような空間」、子宮のような「檻」だった。

 

M子は、薄グレーのニットウェアを着ていた。着馴染んでいるせいか、楽そうだった。

 「その服、いいね。」と言うと「そうでしょ。」と答える。少し焦っているような早口で、無表情。痩せて前かがみだが、アーモンド型の目とウェーブのかかった肩まで落ちている髪も、犬みたいな口元もバランスがとれて美形なのだった。

 肌も整って色白でキメが揃っている。この肌はどうやって手入れしているのだろう、と疑問として残ったのは、M子が私より三つも年上だと知らされたからだ。どう見ても私より三つ年下としか思われなかった。