moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

黄金の檻   ①

カーテンはミルク色で光がうっすら通る。朝が来たばかりの頃なら水色がかっている。

 私は「ミルク色」のままが良い。そうすれば、部屋中が「雪明り」に照らされて明るい、という錯覚の中に居られる。

 アドベント三週目。雪の降らないクリスマスにも慣れてきた。けれど、「雪明り」への恋しさは募る。そればかりには嘘がつけない。

 この土地ではパンジーやビオラが出回る季節だ。花屋ではチューリップの球根を買い求め、早くも春を待つ心持ちになり、パンジーとビオラを見守るように愛でるだけで帰る。M子の最後の消息は「花や」だったと気づく。

 M子と、ひと冬を白い部屋で過ごした。

そこには「ほのかなぬくもり」もある一方、稲妻のように時折、ビリビリと妬みが走る。背中合わせで「同じ空を見ているような空間」、子宮のような「檻」だった。

 

M子は、薄グレーのニットウェアを着ていた。着馴染んでいるせいか、楽そうだった。

 「その服、いいね。」と言うと「そうでしょ。」と答える。少し焦っているような早口で、無表情。痩せて前かがみだが、アーモンド型の目とウェーブのかかった肩まで落ちている髪も、犬みたいな口元もバランスがとれて美形なのだった。

 肌も整って色白でキメが揃っている。この肌はどうやって手入れしているのだろう、と疑問として残ったのは、M子が私より三つも年上だと知らされたからだ。どう見ても私より三つ年下としか思われなかった。

振り返って

2017年があまりにもあっけなく終わってしまい、お正月らしいことをしなかったことが、早くも悔やまれる、1月の終わり。毎年、凧揚げだ、独楽回しだと、孫と浮かれるのだけれど、今年はひたすら、「なにやら」書いていた。思いつきというのが、もう手に負えない。思いついたら行動している。迷った挙句の「思いつき」なのである。

しかし、孫には「お年玉」をあげたし、彼が主人公で出てくる絵本も見てもらった。

今年もやっぱり、ここで自分を発信しつつ、歌って踊れる、絵も描ける婆ちゃんでいたいと思ったことでした。

クリスマス

礼拝の後、ジャングルジムに登った。わたしと娘と孫と3人で。

「メリー・クリスマス!」と言い合って。

でも、本当は祝福の意味がわからなかった。

この教会に本当に居て良いのかどうかも。

 

クリスマスの転会は見送られた。イースターまで何を励むのか?

問いかけが虚しく響いた。わたしから言わせてもらえば・・・

教会学校が大人の礼拝と乖離しすぎている。

立派な教会員になったころには、教会学校で孫が

「つまづく」だろう。つまり「ころぶ」のだ。

 

5人も6人もの大人の信徒が熱心に祈っているのは、牧師家族の子供の

ためだけであり、教会学校では、メッセージ中にわざと子供に当てたりして

本気でやっていないのだ・・・甘やかされて牧師家族は、天国のような

世間と乖離した世界に生きている。

 

子供がつまづけば「一生涯の重荷を負う」言語化できないからだ。

 

熱心な信徒の子供がつまづき、不登校になり、教会からも牧師からも

隠されているのを、わたしは嫌というほど目にしてきている。

 

ここから離れよう。と思う。