黄金の檻 ①
カーテンはミルク色で光がうっすら通る。朝が来たばかりの頃なら水色がかっている。
私は「ミルク色」のままが良い。そうすれば、部屋中が「雪明り」に照らされて明るい、という錯覚の中に居られる。
アドベント三週目。雪の降らないクリスマスにも慣れてきた。けれど、「雪明り」への恋しさは募る。そればかりには嘘がつけない。
この土地ではパンジーやビオラが出回る季節だ。花屋ではチューリップの球根を買い求め、早くも春を待つ心持ちになり、パンジーとビオラを見守るように愛でるだけで帰る。M子の最後の消息は「花や」だったと気づく。
M子と、ひと冬を白い部屋で過ごした。
そこには「ほのかなぬくもり」もある一方、稲妻のように時折、ビリビリと妬みが走る。背中合わせで「同じ空を見ているような空間」、子宮のような「檻」だった。
M子は、薄グレーのニットウェアを着ていた。着馴染んでいるせいか、楽そうだった。
「その服、いいね。」と言うと「そうでしょ。」と答える。少し焦っているような早口で、無表情。痩せて前かがみだが、アーモンド型の目とウェーブのかかった肩まで落ちている髪も、犬みたいな口元もバランスがとれて美形なのだった。
肌も整って色白でキメが揃っている。この肌はどうやって手入れしているのだろう、と疑問として残ったのは、M子が私より三つも年上だと知らされたからだ。どう見ても私より三つ年下としか思われなかった。
振り返って
2017年があまりにもあっけなく終わってしまい、お正月らしいことをしなかったことが、早くも悔やまれる、1月の終わり。毎年、凧揚げだ、独楽回しだと、孫と浮かれるのだけれど、今年はひたすら、「なにやら」書いていた。思いつきというのが、もう手に負えない。思いついたら行動している。迷った挙句の「思いつき」なのである。
しかし、孫には「お年玉」をあげたし、彼が主人公で出てくる絵本も見てもらった。
今年もやっぱり、ここで自分を発信しつつ、歌って踊れる、絵も描ける婆ちゃんでいたいと思ったことでした。
クリスマス
礼拝の後、ジャングルジムに登った。わたしと娘と孫と3人で。
「メリー・クリスマス!」と言い合って。
でも、本当は祝福の意味がわからなかった。
この教会に本当に居て良いのかどうかも。
クリスマスの転会は見送られた。イースターまで何を励むのか?
問いかけが虚しく響いた。わたしから言わせてもらえば・・・
教会学校が大人の礼拝と乖離しすぎている。
立派な教会員になったころには、教会学校で孫が
「つまづく」だろう。つまり「ころぶ」のだ。
5人も6人もの大人の信徒が熱心に祈っているのは、牧師家族の子供の
ためだけであり、教会学校では、メッセージ中にわざと子供に当てたりして
本気でやっていないのだ・・・甘やかされて牧師家族は、天国のような
世間と乖離した世界に生きている。
子供がつまづけば「一生涯の重荷を負う」言語化できないからだ。
熱心な信徒の子供がつまづき、不登校になり、教会からも牧師からも
隠されているのを、わたしは嫌というほど目にしてきている。
ここから離れよう。と思う。
ピースサイン 米津玄師
孫と娘が良いっていうので載せました。
ホテル・カリフォルニア イーグルス
景色に心を奪われてしまった~パソコンでしか聞けないイーグルス。