癒し
いろいろな諸事情でブログが繋がらず、また、身辺にも変化があり、ドタバタしておりました。孫は、耳の病気があったり、心身に弱さを覚えていましたが元気で一緒に遊んでいました。
11月に急に弱さのひとつが癒されてしまいました。それは「どもり」です。
お話が出来ないほどではなく、気にしないではいたのですが、学校の音読では大変だったらしく、緊張する場面ではやはり目立ってしまうだろうことは、容易に想像がつきました。しかし、それでも、「気にしないで」いつもの通り、いろんなおはなしをしては笑い、愚痴を聞き、楽しく過ごしていました。
教会に行き始めて、孫のどもりが急に癒されたのでした。11月中旬のことでした。
最初、あまりにおしゃべりなのでどうしたのかな、と思っていました。よく聞いていると「どもり」が治っているのでした。「治ったの?」と聞くと「うん」と言います。
学校の音読でもすらすら読めて「ラッキー」っていう感じだよということでした。それからは、思ったことがほとんど言葉で出てくるので、周囲は驚いている様子でしたが、この頃は「バランス」もとれてきて、大丈夫になってきました。
慌てて、娘と孫とで、感謝の礼拝に集いました。まだ、新入りなので、このようなことは慣れていませんし、「癒し」があった場合、教会の方々に知らせて祈ってもらったほうが良いと聞いていたので、お知らせしました。
でも、孫とはいつも通り、です。木曜日から二晩お泊りです。なぜか緊張しています。
ハンナ・アーレント全体主義の起原 NHKテキスト100分で名著
思うだけで「気が滅入ってしまう」ような集まりに出席しなければならないとき、ハンナ・アーレントの言葉を思い出す。複数性という言葉を。悪とはどういうものか?と考えざるを得ない、しかし、はっきりと言葉でもイメージでも表現できない。そんなときに書店で見かけた一冊。
複数性とは・・・人々の間には「間」が必要でそれは個々の人を結びつける絆であると同時に距離を設定するものでもある。この「間」において人々の価値観や考え方は相互に作用し、多様性を生み出すことができる。
自分の考えていることや信じ込んでいることが間違っていた場合、それを自分一人で考えて正すことはかなり困難です。複数の人と共に考えたとしても、同じ意見や考え方の人ばかりが集まっている場では、結局、同じものしか見ていないものです。物事を他者の視点で見るという場合の「他者」は、異なる意見や考え方をもっていることが前提となります。
「分かりやすさ」に慣れてしまうと思考が鈍化し、複雑な現実を複雑なまま捉えることができなくなります。
アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならない~ということであり、わたしたちにできるのはこの「分かりにくい」メッセージを反すうしつづけることだと思います。
本そのものは「かなり難しい」と著書が触れており、分厚い政治哲学の本を買わなくてすんだ。要点だけをこの本で読めるのはありがたい限り。
・・・かくてわたしは「複数性に耐える」体質を学び、身につけるべく出かけて行った。
わたしを権威の上から見ていると思われる人の本当の姿は、まったく違った。重荷を背負いながらそれでも誠実に生きようとしている「弱さ」を見て、愕然とした。驚いた。
見破ってしまった。さあ、これからどうしよう。しばらくはまた、ああでもないこうでもない、と考えるしかない。わかっていることは、いつか結論が出る、ということだけだけれど。
youtu.be映画も合わせて観たい。けれど、今は覚え書きです。
子どものためのコルチャック先生 井上文勝著
第二次大戦下、ナチズムが猛威をふるっていた時代、孤児たちのための施設を作り、子どもの権利条約を制定。子どもの存在をしっかり受け止め、けして逃げなかったポーランド人~ヤヌシュ・コルチャック。
子どもの悲しみを尊重しなさい。たとえそれが失ったおはじきひとつであっても。また、死んだ小鳥のことであっても。
子どもをひとりの人間として尊重しなさい。子どもは「所有物」ではない。
子どもにはじぶんの教育をえらぶ権利がある。よく話を聞こう。
子どもは愛される権利を持っている。自分の子だけでなく、他人の子どもも愛しなさい。「愛」は必ずや返ってくる。
子どもがじぶんたちの裁判所を持ち、お互いに裁き裁かれるべきである。大人もここで裁かれましょう。
子どもは宝くじではない。ひとりひとりが彼自身である。
子どもがあやまちをおかす。それは、子どもがおとなよりおろかだからではなく、人間だからだ。完全な子どもなどいない。
子どもにも秘密をもつ権利がある。たいせつなじぶんだけの世界を。
子どもの持ち物やお金をたいせつに。大人にとってつまらぬものでも、持ち主にとってはたいせつな宝。
子どもは幸せになる権利を持っている。子どもの幸せなしに大人の幸せは在り得ない。
子どもは不正に抗議する権利を持っている。圧制で苦しみ、戦争で苦しむのは子どもたちだから。
子どもの権利条約とはこのように、わかりやすく「子どもに寄り添う」とはどういうことかを説いた条文であった。第二次大戦下をはるかに過ぎた今現在でも充分通じる内容である。コルチャックを、理想化し、難しく論じる気はない。誰もが、知っておかなければならないこと、そうなりたいと思えば誰でも本当の子どもにとっての「盟友」なれるのだということ、伝えたいのはただそれだけのこと。
明日にかける橋 ロバータ・フラック
youtu.beロバータ・フラックのバラードは昔から好きでしたが、サイモン&ガーファンクルのカバーのこの曲はふわりふわり空中を浮遊しているような感じです。でも、それが目的の定まらない浮遊ではなくてちゃんと「祈っている」浮遊感。ふわふわ祈っている感じが心地良いです。