子どものためのコルチャック先生 井上文勝著
第二次大戦下、ナチズムが猛威をふるっていた時代、孤児たちのための施設を作り、子どもの権利条約を制定。子どもの存在をしっかり受け止め、けして逃げなかったポーランド人~ヤヌシュ・コルチャック。
子どもの悲しみを尊重しなさい。たとえそれが失ったおはじきひとつであっても。また、死んだ小鳥のことであっても。
子どもをひとりの人間として尊重しなさい。子どもは「所有物」ではない。
子どもにはじぶんの教育をえらぶ権利がある。よく話を聞こう。
子どもは愛される権利を持っている。自分の子だけでなく、他人の子どもも愛しなさい。「愛」は必ずや返ってくる。
子どもがじぶんたちの裁判所を持ち、お互いに裁き裁かれるべきである。大人もここで裁かれましょう。
子どもは宝くじではない。ひとりひとりが彼自身である。
子どもがあやまちをおかす。それは、子どもがおとなよりおろかだからではなく、人間だからだ。完全な子どもなどいない。
子どもにも秘密をもつ権利がある。たいせつなじぶんだけの世界を。
子どもの持ち物やお金をたいせつに。大人にとってつまらぬものでも、持ち主にとってはたいせつな宝。
子どもは幸せになる権利を持っている。子どもの幸せなしに大人の幸せは在り得ない。
子どもは不正に抗議する権利を持っている。圧制で苦しみ、戦争で苦しむのは子どもたちだから。
子どもの権利条約とはこのように、わかりやすく「子どもに寄り添う」とはどういうことかを説いた条文であった。第二次大戦下をはるかに過ぎた今現在でも充分通じる内容である。コルチャックを、理想化し、難しく論じる気はない。誰もが、知っておかなければならないこと、そうなりたいと思えば誰でも本当の子どもにとっての「盟友」なれるのだということ、伝えたいのはただそれだけのこと。
明日にかける橋 ロバータ・フラック
youtu.beロバータ・フラックのバラードは昔から好きでしたが、サイモン&ガーファンクルのカバーのこの曲はふわりふわり空中を浮遊しているような感じです。でも、それが目的の定まらない浮遊ではなくてちゃんと「祈っている」浮遊感。ふわふわ祈っている感じが心地良いです。
ベル・ジャー シルビア・プラス著
正気と狂気のはざまで、主人公のエスターは、どうやって生きてゆこうとしているのか。「ベル・ジャー」とは、クッキーなんかを入れる蓋のついたガラス瓶のこと。エスターはいつも、この「ベル・ジャー」の中で生きている気がしている。自分の吐く息で、自分自身、息が詰まっていくような・・・19歳の心情。シルビア・プラスの自伝的小説、と言う風に読んでみれば、8歳の頃から詩や文章を書く才能があり、数々の賞を採っている~というドキュメンタリーの部分は書かれていないことになるが、ここに母親が期待の多くを娘に賭けてしまった、という見方は出来ないだろうか。
成績でAを採り続け、趣味らしい趣味はなく、ただひたすら「母親の期待」に応える人生を歩んできたエスターには、「自分自身」というものが形成されていなかったのだろう。
たとえば、「日常を生きる」ということを、知らない。そのことが地獄であり不幸なのだ。
夏期講座で、ある作家の指導を受けられるということで、申し込んだ彼女の作品が選考に落ちてしまう。エスターには絶対的な自信があったのにも関らず。
そして、がたがたと坂道をころがりおちてゆくのである・・・・
狂気の中に埋没してしまったかのように思われたとき、彼女は「自分らしく生きてゆく」方法の一端を手に入れる。しかし、ラストシーン近くのエスターは、やはり痛ましく感じる。
彼女は完全な自由を手にした。付きまとわれていた同性愛者のジョーンは自殺してしまい、気に入らないボーイフレンドのバデイはあきらめ顔で突き放してくる。病院からは、当分母親と暮らさないようにと通達されている・・・・そして、男性不信を乗り越える為に避妊具まで装着し、行動する。
しかし、エスターは、あまりにも傷つきすぎている。
1963年、二人の幼い子どもを残して自殺したシルビア・プラス。この小説は自殺直前に出版されている。ゲラがあがったとき、彼女は大笑いしてこの原稿を破り捨てたと言われる。
シルビア・プラスもエスターもただの一度も「自分の感情」というものを味わったことがなかったのだろうか。プラスの詩も興味深い。いつか読んでみたい。
一緒に作ろう カード作り
ひとり4枚づつ配り、同じカードを4枚集められたら、真ん中に置いたキャンディを掴みます。要らないカードを1枚裏にして隣りの人に回します・・・キャンディは人数よりひとつ少なく置きます。取れなかった人が負け。4人以上で遊びます。
ボブという名のストリートキャット
猫が人間を救う物語が絶対あるはずだと検索して行き当たり、読んだ本です。ストリートミュージシャン、ジェームズ・ボーエン氏が猫の友達を得て立ち直ってゆくさまを描いている。ジェームズ氏の良い所はどんな時でも、素直で正直なところ。かっこ悪いところも隠さないところ。唄も聴いてみたいな、と思います。映画化はされているようですが、CDの話は聞こえてきません。それにしても、茶トラのボブとボーエン氏のしあわせそうな姿が、ほほえましいやらうらやましいやら、です。
小坂忠 Nobody Knows
youtu.beこの頃、日曜日になると教会に行っています。礼拝のあと、ゴスペルの練習に誘われることがあります。いつも辞退して帰って来てしまいますが。ここで静かに聞いて居ます。
ちなみに、わたしの教会は忠さんの教会とは無関係です。