moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

ラジオ

敬老の日のラジオが良かった。「オヤジのロック三昧」とかで、しぶいところが、わんさかかかり、いろいろな方々の洋楽が聞けて嬉しかった。わたしの好きな「ボブ・デュラン」もかかったし、「ポール・マッカートニー」、「ツエッペリン」、「クイーン」もありました。この頃、よく「ニール・ヤング」もかかるようになったし、紙とペンを持って慌ててメモすることもしばしばです。

絵を描くために缶づめになることがある部屋にはラジオと携帯しかないのです。

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新しいラジカセは、時代の流れに逆らってカセットテープの録音機能付です。今のところ、童謡やスマップの曲しか録音していませんが。あんまりごちゃごちゃとカセットテープが散乱するのも嫌なので、厳選して「わたわた」と録音しています。昔、こんなこと、良くやってたなあ・・・なんて思いながら。

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ブルーハーツ      少年の詩

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先日、Vが泊まりに来ました。なんとなく、この唄が思い浮かびました。学校の先生と、それに従うことに汲々としている両親を、等身大の大人、とイッパひとからげに感じてしまう子ども達を、もう一度目の当たりにして複雑な心境でした。それでも、まだ八歳になるかならないかの彼には、お豆腐みたいな優しさも必要なのでした。少し落ち着かないなと感じる時にはうんと優しい童謡を聞かせたりします。

映画「ステッピング・アウト」より    ライザ・ミネリのダンス

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ライザ・ミネリの、タップダンス寄りの踊り。少し古い映画ですが、素人の街の女性たちにタップダンスを教える先生、という役どころでした。堂々としていて迫力があるけれど、バレエ的な足を高く上げるなどという要素はあまりなく、今で言う「キレッキレッ」という感じを上品に残していて、大スターの風格を堪能出来ます。

夏が終わって

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夏の収穫はバッタ一匹、トンボ一匹、しおからトンボ二匹、糸トンボ一匹、蝉一匹でした。ばっさばっさ一諸に草はらを歩く。しげった雑草のすきまからぴょんとバッタが飛ぶ。

「ほれほれいたよ」と指差すとVはすぐにわかって網を落す。

それから注意深く虫かごにバッタを入れる。

草をひとかけらちぎって入れ「これを入れるとバッタが安心するんだよ」と言うとかなり納得している。「もっと入れよう」と、言って草をちぎって入れている。あとでここの庭をきれいに掃除してバーベキュー出来るようにしようか、と言ってみた。

Vは「でも」と言った。

「そうしたらきっと虫がいなくなるよ」

「そうだね」と私も言った。

草がざあっとゆれる。

Vは「虫がいてくれて採ることが出来て感謝してるんだよ。ありがとうって思っているよ」

と言ったのでわたしは泣きそうになった。雑草だらけで良いと言うVの気持ちは昔、草はらを駆け回って遊んだ昭和の時代の少女のそれと似ていた。

でも、秋のコスモスがゆれているのもいいな・・・言葉にはせずに胸の中にそっとしまった。

 

そよ風のセレナーデ     アラン・シャンフォー

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この唄が流行った当時、高校生の子たちがひとつの唄に、ひとつの振り付けで踊っていた。従姉妹の通う学校祭で、見よう見真似で覚えてきて級友に教えた。あっという間にクラスに広まり、この唄で踊りました。「いじめ」なんていう言葉さえ無かった。

掘り出し物の1曲。

吉田拓郎     人生を語らず

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「オレ、この唄聴いてすんごく感動した」と長男が言ったのは、「結婚しようよ」だった。中学生のときだから14年くらい前だろうか。今はもう家庭を持って今年、4月に生まれた孫2ともども自立してなんとかやっている。

この唄は離れて暮らす長男への応援歌。

おとうと       幸田文著

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露伴が可愛がって育てた長男が、実母との死に別れののちに入った「まま母」とうまく行かなくなってゆく。きっかけは高校進学してからの級友とのトラブルだった。きちんと経緯を聞かず、そのまま警察送りになってしまう。このあたりは、姉のげんは(作中の名前)のちにかなり不信に思っている。なぜ、親がもっと庇ってあげられなかったのか、どう考えても、碧朗は悪くないのに。げんは、幼い頃よりは、ずっと「まま母」よりの気持ちになっており、「気の毒な人だ」と感じながらも従っている。その頃には家事炊事をほとんどげんがこなしている。「まま母」は中風で、手足がうまく利かないのだが、自分のことだけは自分でしている、と言う。

 着物のことなど、当時は時季に合わせて仕立てなくては成らない。それは、「母親」の仕事なのに碧朗は、そんなこともしてもらえないらしい。キリスト教の学校なので、「退学せよ」とは言わない。そのかわり自ら退学せざるをえない方向にもっていかれてしまう。そのトラブルを起こした当人の親は学校にかなりの寄付をしている家なのだ言う。

碧朗が、新しく入った高校にも行かず、乗馬だのボートだのにのめり込んでいくがそれも、ちゃんとした「のめり込み方」さえ知らない風だ・・・悪い仲間との関りを絶つことが出来ない。あまりちゃんとした「友人との関り」を知らないで育ったせいなのか。私には到底、わからない。

碧朗は、結核に罹り、療養をするも、良くなりかけた時に、また無茶をして悪くしてしまう~げんが出来うる限りの看護をしたのは言うまでもない。最期・・・「明日、夜〇〇時に、パーテイをしよう。看護婦さんもみんな呼んで。」げんは、わたし眠っていて起きられないかもしれないと言うと紐をつけておいて、僕が引っ張るから、という会話をする。

げんは、紐がひっぱられたような気がして起きる。

「間に合わない」と弟は言う。父親も「まま母」も飛んできて、最期の見取りをする。くるりと周囲を見回す瞳。そして、静かに事切れる。誰もがこんな看取りが出来るわけではないのだと言う・・・

思い切り悪態をつき、悪い気持ちを全部外に出し切ってしまうのが良いのだと言う。

考えさせられた。ここをすべて書けることがすごい。