一緒に作ろう3 すいかのフルーツポンチ
夏休みが始まり、すいかのジュースとくりぬいたすいかでフルーツポンチを作っているところ。
出来上がり写真がなくて残念ですが、すいか一個丸ごとを使った贅沢感がありました。普段は、パック入りのものか、せいぜい4分の1くらいですませているので。孫はスプーンですいかをくりぬくところが面白かったようです。
豆腐屋の四季 松下竜一著
ノンフィクション作家になる以前の松下竜一。一番最初の頃のことが記してある。
泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん
松下竜一のこの時期の怒りに満ちた歌が好きだと思う。荒れ狂っていたのだ。怒り疲れると涙ぐんでまだ開けぬ星空を仰ぎ、神を呪った、という松下青年の、それでもその「ひたすらな、一途な怒り」を「呪いの祈り」を、はたと立ち止まって思い、考えたい。体が弱く、貧しさゆえに学校もあきらめざるを得ず、日夜、豆腐作りと格闘していた松下青年に、歌を教えたのはお得意先のお店のご婦人だった。この時期に、怒りながら神を呪いながらも、指を折って歌を書き付けた。くやしさと憎しみから、むらむらと私の歌は出発したのだ、と書いている通りに。
松下竜一のことを、私は新聞記事で知った。幼い頃の病気が元で片方の目にホシがあるのだ言う。
「どうして僕の目にはホシがあるの?」と聞くと「それは、神様が竜ちゃんが優しい人になれるようにってホシをくれたのよ」と答える母親に「ホシなんか僕は要らない!」と竜一少年は答える。
母親の死の以降、怒りながら生きる松下青年はある日、ふと思いつく。
「僕は生きていける。僕を愛してくれる愛さえあれば。」
松下青年はこのご婦人の娘さんと結婚する。お金がなく、身体も弱いため、自転車でキーコキーコと豆腐を売り歩く。娯楽と言えば、近くの川べりへの散歩である。ビンボーながらもつつましく可愛らしい夫婦の生活が始まる。
テレビドラマになった時、緒方拳がこう聞いている。「松下さん、あのご婦人のことを好きでしょ?」松下竜一はドキリとした顔をしたと言う。何が自分を幸福に導くのか、をしっかりと意識できた時に人はどん底から這い上がる術を無意識のうちに、知るのかもしれない。
とはいえ、この本は、松下竜一の生活の中から生まれた歌とその説明書きのような本である。「しあわせの見本」のような本である。
ウィ・ラ・モラ 田中千恵著
突然、大自然の中に著者と一緒に放り出された気分になる。「これが当然」のことなのか?と我が身を疑う。まず、世界地図を持ってこなければ。カナダの先住民族とは何なのか。著者はどの辺りをどんな風にキャンプしてたのか。島や海洋の名前もおぼろげだし、ましてやシャーマンの儀式など思いつく術もない。だが、随所に見られる美しい写真の数々、しっかりした文章から察するに、著者は本物の女性の探検家らしい。
忘れられないひとつのエピソードは、「熊の道」という章から。
2000年の夏から秋にかけて、北極圏を流れるマッケンジー河畔の森でデネ族の老夫婦と川魚を捕って暮らしていた著者は、あるとき、毎日続く魚の食事にあきあきして「熊の肉が食べたい!」とつぶやいた。「熊は人間の言葉がわかるから、からかったようなことはいわないほうがいいよ」とたしなめられた著者は、その後、本当に熊からその痛手を食らうことになる。
黄色いナイロンロープで作った簡単な罠と一匹丸ごとの魚を木の枝にひっかけただけの餌で、熊取りを試みるも、3日間見張ったあと、餌と罠だけが忽然と消えうせる。「熊は最初からかかっていなかった」と思った著者と、「かかっているから探す」という知人の先住民とで、森中、熊を捜し歩くも、見つからない。あきらめ果てた頃、2週間も経って、裏山の森深くに、ロープを首に巻きつけた熊が発見される。時間が経っており、半ば、小動物に食べられたり、異臭も放ってもいて、もはや食べるどころではない。しかし、先住民は、その身体をばらばらに裂き、森の方々に置いてきなさいと命ずるのである。片方の熊の足を持ち、ふらふらと森の奥地に行き置いてくる・・・その次にはもう片方の足、あばら・・・どんどんと森の深くへ入るうちに、最後には熊の頭をひと抱えにして、これは夢なのか、現実なのか、と問うしかないほど朦朧としてくる。夢のほうがまだ現実味がある、と思う著者の気持ちとわたしには依然として隔たりがあった。
先住民が、森へ還した熊の死体なんて本当だろうか、と読者のわたしの思う先に、モノクロの熊の頭の写真がぬっと現れるのだ。
オオカミ、ハクトウ鷲、シャチ、フクロウ・・自然界とともに生きているカナダの先住民族は、少しも不自然なところなんか無く、実はわたしが「不自然な」だけなのかもしれない。
ネザーランド・ダンス・シアター
オランダを拠点とするバレエ団、「ネザーランド・ダンス・シアター」のバレエダンサー達の動きですが、こういう現代風の振り付けは好きです。音楽がついていれば、少し甘ったるくなったかもしれませんが、私としては音楽があればもっと嬉しかった。