moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

スティービー・ワンダー&ジェームズ・ブラウン

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スティービー・ワンダーを2曲。迷信で、はじめてスティービー・ワンダーを聞いた記憶があります。パートタイムラバーも、相変わらずのノリの良さ。

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youtu.beジェームズ・ブラウンのソウルフルなダンスと唄を2曲。

オーロラの彼方へ      

この映画も古い部類に入ってきた感がある。オーロラが出たあとに、死んでしまった父親と無線が繋がる。まだ生きていた頃の父親とチーフと呼ばれていた子供の頃の自分の声を聞く。主人公は警察官で、ある未解決の事件を追って居るのだが・・・SF時空ものだが、サスペンスの要素もある。父親と息子ふたりで、どんどん未来を変えていくストーリー。

あの時もし、別の道を選んでいたら・・・?はらはらしながらも最後のハッピーエンドに拍手したくなる。

ルイザ若草物語を生きたひと

ルイザ・メイ・オルコットの波乱万丈な人生を振り返る。若草物語もそうなのだが、この家族に流れる一筋のなにか「不屈の精神性」・・たぶん、プロテスタンティズムに魅かれる。お母さんのアッバもお父さんのブロンソンもお互いに信仰を介して尊重しあうということを、生涯貫き通す。思想家のブロンソンは人柄は良く精神も信仰的であるが、その少々理想主義的すぎる性格のゆえに、家族がさんざん振り回される。しかし、ジョーの性格そのもののルイザにとっては、かけがえのない「お父様」なのである。

南部戦争で傷ついた兵士の看病を志願して看護婦になるが、伝染病で死に掛けてしまうオルコットを救ったのもこの「お父様」だった。家にまったくお金がなくなると、アッバは、貧民街に出向いていき、ソーシャルワーカーのような仕事を始める。家族ひとりひとりが、行動的で「生きる」ことに前向きなのである。オルコットは、ブロンソンとわずか数日違いで亡くなっている。

残された幼い姪っ子のぶんに至るまで、遺産はすべて分配されていたと言う。きっちりきっかり生ききった、という感慨が残る。そして、また、若草物語を読むと、多少説教くさく感じるぶんもあるが考え考え、現実の自分に咀嚼されていくようにも思う。

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みそっかす      幸田文著

なんだかこの本は辛い本だった。前作まで、ただ単に、文さんは若草物語ジョーのような存在だと思い込んでいたのだ。しかしそれは、まったく違った。幼くして生母を失くした文さんのもとに、二番目のははがやってくる。そうしてそれから、辛い日々が始まる・・・父親である露伴と継母には諍いが耐えない。これは、根本的な「宗教的思想」が違うためで、継母は露伴をなにかと「悪魔呼ばわりする」のである。それに、この継母は家事や洋裁が苦手なのである。

何度も本を閉じて考えた。そして思った・・・これは、わたしの「戒め」の書なのだと。継母は継母でキリスト者であるから「愛の神」を信じているはずで、現に、頻繫に教会に通い、信者友達を招いてお茶をしたりしている。

そして、なんとか露伴を改心させようと祈り、聖書を読み、教会へ通う。家事や母親の努めも放り出して。

しかし、夫婦のこの絶対的な「隔たり」からの暗闘が、暗い雲のように、子ども達に降りかかってゆくのである・・・それでも、文さんのなんと従順なことか。このときの辛さを、彼女はついに「言葉が見当たらない」と表現する・・・

もしかしたら、文さんは、お父さんを看取るまでは「頑なな恨みつらみ」に閉じ込められていたのではあるまいか。このあと、若くして病死した弟を看取り、さらには露伴その父を看取った時、文さんはその時、「許し」という一筋の光を見たのではあるまいか。そして「描く」という手段の中に自身を解き放して行ったのではないか。

自分をさらけ出す勇気とは、「与えられるものなの」なのじゃないかとしみじみ思ったことだった。

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COBA    アコーディオン

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コバさんのアコーディオンの曲を三曲。どの曲も切れが良く、思わず聞き入ってしまう。BGMには成り得ない見事な楽曲の数々。

1曲目は、アコーディオンのみでコバさんの作曲のようです。2曲目はパーカッションが絶妙に効いてドラマチックな仕上がり。3曲目は、ギターとパーカッションが入り、軽快さが光っています。

ミニトマト の収穫       エッセイ

ひと月ぶりの再会だった。どんぐりみたいな「頭かたち」とますます日焼けした細い腕、ひざ小僧。にんまりと笑いながら茶の間の私のところにやってきた。少し世間話をしたあとで、「庭にミニトマトが実ってるから取りに行こう」と誘った。するとVは「うーん、あの庭かあ・・」と、いかにも考えるという仕草をした。

 雑草を取っていないばかりでなく、掃除・整理も最低限しか施されていない。春の椿は、咲いたはいいもののポタンと土に落ちたきり茶色の塊になっているし、ミントは伸び放題で、隣りのオレガノビューティを枯らしてしまい、その場所に植えたフレンチラベンダーも、最初の夏こそ盛況だったが次の年にはもう花は咲かず、今年も春のいっときしか咲かなかった。六月になるともう、色の無いうさぎの耳のようなのばかりがずらりと並び風に揺れている。掘り出したチューリップの球根軍団もそのままごっそりほっぽり出されている。買ってきて置きっ放しの煉瓦はそのあちこちに、タテになったり、横に置かれたり、てんでばらばらになっていて人の意図が感じられない。その上、一面にぼうぼう草が生え出でて荒れようを呈している。造ろうとしてはあきらめ、あきらめては造ろうとしているかのような、まことに中途半端な雑然さが漂っている。

 春先に出て行って「虫がきた!」と言って泣き出したV。タオルで追い払ったのは私。それは小さな蚊みたいな虫で、確かに首や耳に貼り付いて「わるさ」をしており、跡が小さく赤く、腫れていた。大人なら、あとになって刺されたことに気づく程度であったかもしれない。7歳の男の子はそんなことにも敏感なのだろう。

 そのことを思い出していたのは私もVも同じだったのかもしれない。様子を見ていると彼はいかにも決心したように「よし、行こう」と言った。袖の長いものを着て、長ズボンを履いて、などとおたおたと「ころばぬ先の杖」でせかすように準備をあおると、「いいよ!大丈夫。子どもだから!」と開き直ったようにしている。春先には、少し庭仕事をしており、一緒にそれこそ雑草取り、夏の花の種まきと水やりなどをやった。けれど、今は、ただ、トマトを収穫するだけであるから、長いことはかからない、トマトが実って居るのは、連れ合いが確認しているから、すぐにすむことだ、と、私も自分の心配しすぎを改めて心を静めた。

 Vの決心に従い、荒れた庭をのっしのっしと歩いてトマトの苗のところまで行く。果たして葉っぱも茎もよれよれになっている。支柱を立ててもいなかったからこうなったのは当たり前である。プランターふたつに三つの苗が植えられていて、「そうだ、支柱をたてて、茎をゆわえなければ」と細いナイロンの紐まで用意していたというのに、それはもう「イメージだけ」で終わってしまい、トマト育てをあきらめることに至った。そしてもう、この件はあとも見ずに忘れたかったのだ。

 しかし、トマトは放ったらかし程度が良いそうである。よれよれの葉っぱと茎にたくさんのミニトマトが成っている。中にはミデイトマトくらいの大きいのがまだ青いが、楽しみにしててよと言わんばかりに2~3個成っている。でも、プランターの手前に蜘蛛の巣があるじゃないの。Vはたじろいでいる。蜘蛛の巣を手で払いのけ、ほれほれと茎をすぐそばまで寄せてやっても「もぎ取ろう」という気配もなく立ちすくんでいる。仕様が無いので「婆ちゃんがもぐよ」と黄色い取っ手をもって庭用鋏を広げようとした。

 そのとき「あ!しょうりょうだ!」とはずむような声を上げた。見るとトマトのプランターに覆うようにかぶさった茎と葉のそばに、卵から孵ってまもないくらいの小さな赤ちゃんバッタが、ぽちっと止まっていた。Vは思わず指で、つ、と足をもった。バッタは片足を残して、ピョンとどこかに飛んで逃げ、どこに居るかわからなくなった。

 それから、Vの心のシーンが変わったようだ。ポキポキと、あっちもこっちもトマトをもいでくれてビニールに入れた。収穫を手に私とVは、また雑草の庭を歩いてもどった。

 洗ったトマトを中くらいの鉢に入れてテーブルに置いた。トマトは甘く、とても味わい深かった。Vは、2個くらいを食べ、おいしいと言った。座はほどけてきてわたしとVは、またなにかを話し出し、頷いたり、尋ねたり、笑ったり、得意がったり、さまざましながら夕方の時間を過ごした。

頭の中に「しょうりょうだ」と言ったVの声がいつまでも残り、あんな風な、男の子のはりのある声を随分むかしに聞いた・・・と思い出そうとしたが、それは、あまりにも昔で指折り数えなくてはならなかった。

いつのまにかVの帰った静かな茶の間で、わたしは、いつまでも、その遠くの男の子の声を、聞いていた。その声のぬしは弟だった。三つ違いの、もう二度と会うことのない「弟」。切り揃えた前髪の向こうに見える目とランニングシャツ。無類の昆虫好きだった。

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