moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

やさしさをください   大塚敦子著

 4年ほど前に愛猫を亡くし、その哀しみが思いがけず深かった。かつて私の実家にはたくさんのペットが居た。鳥類、金魚の類、りすなどの小動物、亀が居たこともある。昆虫もさまざま入れ替わりたちかわり、なんやかや居たものだ。それなのに、動物が死んで悲しいと思ったことがない。

あれは、なんの故だったのだろう、と一生懸命考えざるを得ない。結婚してからハムスターを飼った。ハムスターは、ハナと太郎の2匹から始まり、系図が出来るほど増え広がった。あの頃、ハムスターらにはそれぞれユニークな名前がついていた。パールのような毛並みのコを、「パール王子」と名付け、足を痛めた「行かず後家のジロコ」や子どもを生んだはいいものの、育児放棄しかけた「ミニー」、まだらの毛並みの「まだらん」などなど伝説のコたちが居た。

彼らはよく脱走し、部屋の中で行方不明になった。そういう時、脱走したと見られる部屋以外の部屋の扉を封鎖するか、玄関へ続く扉を封鎖する。ネズミは壁に沿って這う性質があるというので、外に出ないようにだけ配慮するのだ。そうすると、思いがけないところに「別荘」を作っている。

私の本の隅がたいてい「かじり跡」があるのは、彼らが別荘を作るために紙を使ったためだ・・・

「家族の一員になる」と、動物は俄然、人に対する「力を発揮するのだ」と、知り始めたのがあの頃だった。もう10数年前になる。そして、近年の猫の死。どうしても、動物のことが知りたいのだった。動物の人間に対する影響を掘り下げたくて、探していたところこの本に出会った。

アメリカにある「動物愛護団体」が母体となってやっている「わすれなぐさ農場」には、馬やあひるやラマ、ヤギ、犬や猫などが居る。虐待されたりネグレクトされ、保護された子どもたちが訪れ、「動物を可愛がる」ということを少しづつ学んでいく。農場にはオーガニックで作られる野菜畑や花畑もある。その他にも、情緒傷害、聴覚障害がある子どもたちもやってきて、動物の世話を覚えてゆく。

 

2000年には、匿名性を守るため取材できなかったこの農場は、その活動が評価され、現在では写真を掲載できるようになったのだと言う。動物愛護も、すてたものじゃないと思う。

大塚敦子は、このほかにも良いノンフィクションを多数、執筆している。

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リトル・ダンサーとТレックス、そしてクラッシュ

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映画リトル・ダンサーの挿入歌、Tレックスとクラッシュです。この映画で、クラッシュのファンになりました。ボクシングを習わされていたビリーが、しだいにバレエに、踊ることに目覚めていきます。ビリーの家は炭鉱夫のお父さんとお兄ちゃんで賄われて居るのですが、ストが決行され、職場の人間関係が緊張を帯びてきます。

その最中にかかる「クラッシュ」の「ロンドンコーリング」がぴったりはまり、歌詞もとっても「クール」で場面を引き立てています。Tレックスのほうは、「チルドレン・オブ・レボリューション」のほかに「ゲット・イット・オン」、「コズミック・ダンサー」などが入っています。

 

 

 

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ピルエットを頑張るビリーのシーンがあまりにも好きなのです。家族の愛もバレエも観れて音楽も聞かせてくれる秀逸な映画。

 

 

 

 

 

ジャック・デロシュの日記~隠されたホロコースト      ジャン・モラ

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心の琴線に触れる、という言い方をすれば、この本を読んだ後の衝撃がそれである。図書館の児童書の棚にあり、小中学生が誰でも手に取って読むことが出来る。感受性の強いこの時期に一度この本を読み、また大人になって読み返すのも良いかもしれない。

「わたし」~エマは、16歳の女の子で、ダイエットを繰り返している。~愛する祖父母の中に自分の両親に欠けているものを見つけ、自身の支えとしているが、ある日、祖母が夢でうなされている最中につぶやいた言葉に惹きつけられ、拒食症に蝕まれてゆく・・・祖母が亡くなり、遺品の中から「ジャック・デロシュの日記」を見つけたエマは、その本を隠し持って読み始める・・・

「嘘に塗り固められた人生」、「嘘を土台にして」作り上げられた人生。そういうものの代償は、人の生を破壊する、と心理学者のアリス・ミラーが著書の中で書いているが、それはその人自身でなければその子どもの生だと言う。エマは正面からこの「嘘」に向き合う。

ホロコーストは、日本には係わり合いのない歴史上の出来事なのだろうか。そういう理由にはいかない、と誰もが気づかされる。そして正面から向かい会いきれない「泣き寝入り」の土壌が、日本には根深くあるのではないかと考えさせられる。

エマのような態度を誰もがとれる訳ではないし、このように病理を本人がしっかり手の中に収められるためには、幾人かの「誠実な大人の存在」が不可欠である。嘘には「抵抗するべきだ」という本質。なによりも尊い自分という人格を守るために。この場合、命そのものにまで影響が及んで居るわけなので、事態は深刻である。同じような事例がアリス・ミラーの著書に出てくる。けして絵空事ではないのだ。

この本は海外の文学賞を14も受賞している。

 

ブルース・スプリングスティン

 

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スプリングティンを聞いてみようと思ったのは、92年、4年半ぶりに同時リリースした「ヒューマン・タッチ」と「ラッキー・タウン」というアルバムのことを紹介した雑誌のページを読んだ時だ。そのページの切抜きを今も持って居るのは、歌詞の一部が、レタリングされて掲載されており、その歌詞が、ひどく印象的だったから。

Should  we lose each other in the shadow of the evening trees l'll wait for you

And should I fall behind wait for me

Darlin'l'll  wait  for you

夜の木々の陰で 互いを見失うことがあったら

君を待っててあげる もし ぼくが遅れたら 待っててほしい

(イフ・アイ・シュッド・フォール・ビハインドより)

しかし、ダンシング・イン・ザ・ダークのスプリングスティンは、若々しく、気取ったところも無く生き生きとステップを踏んでいる。暗い狼の遠吠えのようなイメージが一気に払拭された。

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須賀敦子全集1~2     

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須賀敦子に出会ったのは7年前の冬のことだった。ホテルの一室で、大画面のテレビに映し出されたイタリアの風景。その時まで、「アッシジのフランチェスコ」も「聖人キアーラ」も「夕暮れには薔薇色に染まるイタリアの煉瓦の路」も「霧の中にそびえるドゥオモ」も「天井から円形の光が差し込むパンテオン」も、まったく知らなかった。勿論、その国で生きた作家須賀敦子のことも。

抑揚をおさえた原田知世のナレーションが、川のように流れていき、画面が変わる・・・息をするのも忘れるほど、この番組の衝撃がしんしんと身に染みた私だった。

時に「孤独を強いられているような」人生のある時期に、どれほど須賀敦子の本に、寄り添われ慰められてきたことかしれない。

全編、エッセイ形式なのでどこから読んでも良い。須賀の出会った「コルシア・デ・セルヴィ書店」の仲間や、イタリアに行くまでの心の葛藤などが丁寧に描かれている。わたしから見た、忘れられない人物は「カテイア」や「ガッテイ」だろう。須賀が、フランスの寄宿舎に居た頃のドイツ人のルームメイト「カティア」は、毎朝、部屋で食事を採る。黒パンを5ミリ厚さに切り、たっぷりのクリームチーズとトマトで食べるのだが、その食事を「あなたもどう?」と薦められて、須賀とカティアは親しく話すようになる。「イタリア語を習えば、新しい道が開けるような気がする」という須賀が「ドイツ語じゃあ駄目なの?」と言われ黙り込むくだりがある。軍国主義をくぐりぬけてきた日本と、その傷跡が生々しいあなたの国~ドイツにはまだとても行けない、と心で思う。

カティアは、イタリア中部の町、ペルージャに国立の大学があって世界中の学生が集まってイタリア語を学べるのだと教える。それから、週に3回、朝食の後1時間。須賀は、カティアから初歩的なイタリア語を学ぶことになる。報酬は、朝食のチーズやヨーグルトを買ってくることだった・・・「カテアの歩いた道」は2巻に収められている。

ガッティは、1巻に出てくる「コルシア書店」の翻訳仲間だ。ガッテイの人生が透き通った湖水をのぞいた時のように深く、遠く、しかし、ためらいがちな優しさでもって迫ってくる。自分のことよりも当然のことのように人を思いやる。このことを徹頭徹尾貫いたガツテイの人生を思うとき、静かな感動がある。ガッテイに会う為だけでも、この本を読む価値があると思う。

いっとき、「ジョルジュ・ムスタキ」にハマっていた須賀に「ムスタキは、歌詞はいいけど音楽は駄目だ」と言って「レナード・コーエン」を薦めてくれたと言うガッテイ。夫のペッピーノを失くした時、「睡眠薬なんかに頼らずに哀しみを全身で引き受けたほうがいい」と諭したガッテイ。

カトリック左翼の仲間たちの中で自由自在に観て聞いて、生きた須賀敦子の作品は、どっしりと厚く重く、硬筆な感じは否めない。しかし、彼女の友人、知人達が、霧の向こうで手を振っている。そして、星のように、一人ひとり自己紹介してくれる。こんな風なシンプルでストレートな人たちがかつて居たのだ、と気づかせてくれる。教会の圧力によって彼らの運動は鎮められて行くが、書店と、その活動(慈善運動など)は、いまだ残っていると聞いた。

今朝、久しぶりに「カテイアの朝食」を食べてみた。食パンとチーズとトマト。お腹持ちが良いのに、重過ぎない。須賀のイタリア行きをさりげなく手助けしたカテイアを思い、その後、ある学校の校長先生となったカテイアと須賀が、再会するシーンを思い浮かべる。そうだ、レナード・コーエンも聞いてみよう。

須賀敦子が亡くなっておよそ20年が経つ。彼女が日本の文学界に現れてエッセイ賞や女流文学賞などを取ってくれて、私は、心の中で鳴り止まない拍手を送ったひとりである。

ホテルから出ると、アーケード街の天井から、美しい粉雪みたいなギタアの音色が落ちてきた。確かにそれは、雪のように、天から降る音楽だった・・・・あの時の祝福は真実だったのだろうか、と、ふと辺りを見回してみる。2017年、6月のある日に。

 

 

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ピーター・フランプトン

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ピーター・フランプトンの印象的な曲を三曲。サビの部分が、覚えやすくて口ずさんでいた記憶があります。歳を経てのピーター・フランプトンも、落ち着いていてホットな感じが好きです。

 

ポール・マッカートニー&ウィングス

Jet

Live And Let Die

Lady Madonna

ビートルズの曲のなかには、わたしの知らない曲がたくさん在ったのだ、と気づく昨今。解散してからは、ジョン・レノンの曲しか聞いていなかった。なので、ここに来て、ポール・マッカートニーの作曲家魂みたいなものに触れた気がする。聞き覚えのある曲を三曲。レディ・マドンナはビートルズ時代の曲です。