moonfishwater28’s diary

気がつくとわたしの心から音楽が奪われていた。取り返そうとするけれど、思い出すのは昔のレコードばかり・・・今はもう手元に無いレコードたちを思い出しながら記憶の隅に眠る音、内側を作る本の言葉を集めたい。

バレエの映画

「ミルピエ~パリ・オペラ座に挑んだ男」

 

 

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「ポリーナ、私を踊る」

ミルピエ~のほうは、ドキュメンタリーの要素が強そう。でも、スローモーションで見る真っ白いチュチュの群舞が素晴らしい。ポリーナ~は、世界的な人気コミックの映画化という情報。基本が出来ているからこそ開けるダンサー以外の道。あるいは、クラシックではない表現方法。でも、全部、クラシックの基本があってこそのこと。

わたしは「ポリーナ、私を踊る」のほうを観てみたい。

 

 

 

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パッ    西野カナ

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昨日、母の日でした。娘からパンケーキみたいなクッションを貰いました。七歳の孫が選んでくれたという「ふわふわ」「もふもふ」を楽しんでいます。西野カナは、娘がよく聞いている歌手の一人だそうです。曲はラジオでリサーチして私が決めました。

ニッケルバック

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動画と一緒に見ると面白いかもしれないニッケルバックを三曲。カナダのロックグループ。なんというか、「自分、不器用っす。」という心の声が聞こえてきそうな職人肌。がに股で地にしっかり足をつけた無骨なまでの唄と演奏を聴くにつけ、見るにつけ、「怒れる4人の漢」と名付けたくなる。勿論、ダンスなんてしないし、かっこつけて胸毛をみせびらかしたりもしない。

こういうロックがあっていい。こういうグループが居てもいい。なんて思う。

ZOO     エコーズ

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頭の中に残っているフレーズがあって、その歌詞がエコーズなのかどうかわからなかった。「パパママ忘れないでね隣りで寝ている僕を♪」これは、ロックの歌詞じゃないよな・・・でも、確かにそう聞いたんだよな・・・などとつらつら思う。連休に動物園に行ってきて、なんだかその時のイメージとこのエコーズの「ZOO」がダブった。

辻仁成氏は、小説も描けるロッカーだということが判明したのは何時だったか?

パリ在住で、三度目の離婚の際に出来た息子さんと暮らしている、という動画が現れた。これは最近のものなのかな。現在とは言えないまでも「最近の動画」ではあるだろう。そこで、自分の頭の中に残るフレーズを思い出し、検索をかけてみた。この歌詞、辻仁成なら、なんとなく唄っていそうだ。

そして、少し単調な曲ではあるが、「パパママ忘れないでね・・・」という歌詞の唄をエコーズは確かに歌っていた。辻仁成氏もそのことを覚えていたのだろう。

さて、今どきの動物園はエサをあげたり、撫でたり出来るのだ。動物たちがせっせと食べる。かなり人懐こい。私が好きだったのは、猛禽類、大きな猫。トラと猫の中間の「ヤマネコ系」が見たかった。この猫は、剥製のように動かなかった。垂れた目でこっちをじっと見ている。肉食なのでエサはあげられないのだが。

やっぱり、少し悲しかった。本当なら、草原を駆け回っているだろうに。こんな風にしか出会えなかったことが幾分もの悲しいのである。

自分の役目はコレ・・・みたいな感じがありありと伝わってくる。帰宅すると、いつも来る野良猫タマが庭に現れた。家猫の二倍くらい大きいが、ヤマネコよりも当然小さい。がっしりした前足を前方に貼り付かせていつものように馴れ馴れしいさまを見て、動物園で見た大きい猫の話しをした・・・

ふむふむという具合にタマは目新しい情報に耳を傾けて聞いていてくれた。

ちなみに一番良いなと思ったのは、崖に住む、貝殻みたいな角を持つヤギだった。彼らはけっこうなスペースをとって作られた絶壁風の場所にボロボロの毛皮ですっくと立っていた。素晴らしいひづめを絶壁に突き立てて・・・・

 

 

文盲     アゴタ・クリストフ

ハンガリー人。20代にスイスに亡命。単調な生活の中で小説を~文章をひたすら執拗に書き進めてゆく。その語り口は、ある意味ぶっきらぼうとも言えるような文体であり、読んでいく内に、砂漠の中で迷ってしまったかのような、乾いた気持ちになる。なんだ!この乾いた気分は・・・!実際、ここ数日、水ばかり飲んでいる。喉が渇いてどうしようもないのだ。

しかし、この作家はどうしても、言葉を書くことを辞められない。誰にもわかってもらえなくても、この先永遠に誰にもわかってもらえなくても~とこの女性の病にも似た「読むこと書くこと」の執着は結局、終生衰えることは無かった。そして、戯曲、詩、小説などを残している。2011年に他界。

わずか4歳で「読む」という病にとりつかれた少女は掃除も洗濯も放り出し、食器を洗うことさえせず、アイロンがけも食事を作ることもせず、雑誌や新聞などをただひたすら「読む」のだった。そして、まったく書かなかった。水道も電気も電話も通っていない家で、彼女は周囲から「なんにもしない」と疎まれさえする。(書くことを始めたのは、14歳になって兵舎と修道院を足して2で割ったような寄宿舎に入ってからのことだった)しかし、まっすぐに信じて初期衝動に従う姿勢から、やがて、彼女の内面を「人に読めるような形にまで作りこむことが出来た」最初の作品「悪童日記」が出版されて評価を得る。注目すべきは、「悪童日記」からの一連の作品、三部作が、自身の子供の頃に培った従姉妹、兄弟などの強い絆が基盤になって書かれているということだ。

晩年になって、彼女は、その頃の恵まれていた日々を小説に書こうとして、散々努力したらしい。しかし、その作品は、結局世に出ることはなかった。

言葉が落ちてくる。そしてその言葉を繫げて詩を作る。・・・アゴタ・クリストフの文章には、間違いなく静寂がある。

昨日は、すべてがもっと美しかった。木々の間に音楽

僕の髪に風 そして、君が伸ばした手には太陽。

 

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今、ようやく向かいあえること~映画「誰も知らない」から~タテタカコ「宝石」

わたしには、奇妙な、自分でも当惑するような「記憶」がある。自分の直接の家族でも親戚でもない誰か~が、助けてくれて、子ども達だけの「絆」で生きてきた「記憶」だ。この映画に私が強く引き込まれるのは、自分自身の「生い立ち」に深く共通する何かに突き刺さってくるからだ。このことについては、もっと後でまた、まとめたいと思う。

「大人はみんな」誰も知らないと言う。確かにそれは、目の前に突きつけられている課題だろう。

しかし、もうひとつの、私個人の観点から言ってしまえば、子供たちの、真実望んでいることとは、それが親や大人たちの無言の見守りの中でしか存在し得ない、子供同士の絆なのだ。親がその役目を果たせなければ、他の誰かでも良い。そしてそれこそが、お互いから出てくる紛れもない「善意」であり、正真正銘の自分から発する「善いコミュニケーション」を探るためのアンテナなのだからそれはとても大切な体験である。そして、「ここ」から教育というものが入ってくるべきなのだ。

もしかしたら、ある意味で、幸せに育った子ども達には、それが「幸せ」だと思い込ませられている「何か」が機能しているかわりに「想像力」というものが削り取られているのかもしれない。「出会い」が制限されているために「見抜けない」何かがあるのかもしれない。それが、思春期以前に「体験させられなければ」ならない。その意味で、ぎりぎりの所で救助された、事件の渦中にあった当事者たちに、逞しく生きて行ってほしいと願ってやまない。そして、失った小さなふたつの命のために、冥福をお祈りしたい。

以前、小学校低学年時、長男がいろいろな事情で学校に行けなくなったことがある。当時、時間割が次の週のぶん、週日最後の日に、配られるため、長男の、近所に住む友人が、このプリントを家に届けに来ていた。これは、私が頼んだのでも長男が頼んだのでもなかったし、友人本人の意思でもなかった。先生に言い渡されて来るのだ。わたしがこのことを辞めて欲しいと訴えたのには、ある事情があった。自宅と、その友人の住むマンションとは、距離的にはかなり近いのだが、「通りすがり」に通過するというわけではなかった。マンションは、交通量も多く、信号機もない道路を横切った向かって右手側、道路沿いに斜めに建っており、私たち家族の住む自宅(貨し家)は左手側の少し回りこんだ住宅街に在った。

友人が安全に帰宅するためには、最初から左手側の道路に接した歩行者用の通路沿いに歩き、公園を右手に見ながらしばらく行って、そのままマンションに直行するのがふさわしかった。公園手前の信号を渡り、右手側に渡ってしまわなくては長男に届け物をすることは出来ない。

その場合、彼らはすぐそこに見える自分のマンションに帰るために、もう一度今歩いてきた道を引き返し、公園に近い信号までは、けして戻らない。その信号なら、見通しの良い十字路なのだが。

道を1度横切れば、すぐそこなのだが、大型トラックがビュンビュン走る。そこを渡るために、大型トラックのうしろにぴったり付いて走り渡る長男の友人を見たとき、背筋が寒くなった。家に時間割を届けさせられて、事故に遭ったら大変だと思った。

しかし、誰もそんなことは気にかけていない。一人不登校児がいる、ということのほうが、学校にとって、担任にとっても一大事であるらしい。そして、そういう子どもを持つ親にはそこまでの判断能力もないだろうと思われていたのだろうか。勿論、その友人のお母さんもそんなことを気にかけてもいない。一切の注意が家の長男に向けられている。学校内で、担任の圧力が我が子に飛び火しないようにと、そのことだけに気持ちが向いている。

子どもの命のほうが大切なのに。

担任の想像力もまったく欠けている。もし、そのために事故でも起ころうなら、「ほら見たことか」と言いそうである。そんなパワーゲームはお断りだった。わたしは「時間割を友達に届けさせるのは辞めて欲しい」と理由も告げずに言い張った。それくらい「ちょっと考えればわかること」なのだが。

 

やがて、その道路には信号機が付いた。友人のお母さんが「誰か子供が死んだらしいよ」とこともなげに言った。その子は、他小学校の子であったが、その日和見な言い様に、ますますわたしは「無言」で返すほか無かった・・・・長男の友人は今はもう成人して元気に過ごしている。しかし、信号機が付いたのにも関らず、兄弟(弟)がそこで事故にあって、それが元で亡くなったとあとで聞いた。

その子の住まいのこと、マンションのことをとやかく言いたい訳じゃない。ただ、普通に「心配しなくちゃならないこと」は、「心配する」、その普通のレベルに担任は立つことが出来ていなかった。また、それに追随する形で友人のお母さんもそうだった。誰のための学校なのか。一番、当たり前なこと、まっとうなことから目を逸らさせようとする力が、横行している。

そして、ようやく「誰も知らない」の映画とモチーフとなった事件とに目をそむけずに向かい合おうとしている自分がいる。